サッカー部中途退部です。
帝京大学医学部を2003年に卒業いたしました27期の白崎良輔です。
私は暁星学園を卒業し1浪で帝京大学医学部へと入学しています。サッカー部に入部し5部所属だったサッカー部ではFWとして補欠でした。3年の時には自分が出た試合にて1:13で敗れるという事もありました。3年の東医体後に退部しましたが、その直後に特発性好酸球増多症の診断を受け4か月の入院も経験しています。(帝京に入院したので出席日数確保のため病室から大学に行き授業に出ていました。)
2003年に幸い留年せず卒業いたしましたが、大学5年までは成績は底辺中の底辺で、常に100位より下で僕より下がほぼ留年した年もあります。つるんでいた悪友も二人とも留年してしまいました。大学6年になり初めて勉強をしましたが、ここで勉強が楽しくなり学年10位台を取れるようになり内科医局へ入局しています。(スーパーローテは2004年からの開始でした。)
血液内科医です。
入局後、最初に総合内科+血液内科(当時同じ病棟でした。) を回ることになりました。この時に私は「重症希望」を掲げ研修医として重症患者を僕に回してもらえるよう頼みました。一番最初に重症患者さんを研修開始2週間後に回してもらいました。その患者さんは「慢性好酸球性白血病 (CEL)」でありました。この白血病は非常に珍しい血液がんですが当時生命予後は悪く5年生存率30-50%でした。30代前半のその患者さんは僕らの病棟に入院してすぐに人工呼吸器管理となりました。
好酸球は全身の臓器どこにでも浸潤しますが、この患者さんでは肺への浸潤が酷く、一時FiO2=100%にして何とか呼吸を保っていました。この患者さんが挿管される直前に、私の上級医3人に何とか助けて欲しいとおっしゃっていましたが私は全く目に入っておらず(第一三共のMRさんだったのでこの時期の研修医がどのようなものか良く分かってらっしゃったと思います。) 非常に悔しい思いをしました。しかし、若く、小さい娘さんのいるこの人を何とか助けたいと思いました。
当時、自分が出来る事は頭を働かせるよりも体力だと思い、非常にシビアな人工呼吸器の管理が必要でしたので、良くなるまで当直しようと考えました。当初細胞障害性の抗がん剤投与(キロサイド)を行いましたが全く効果が無く、白血球が下がっていくばかりでしたが、丁度その年に発表された論文で「FIP1L1-PDGFRAのfusion遺伝子を持つCELに対しImatinib(Glivec)が非常に強い効果を発揮する。」という論文を白藤元教授に紹介され「使ってみるか?」と言われ、当時保険適応外だったImatinibを論文も読んでないのに藁にもすがる思いで「はい。使ってみたいです」と答えた事を記憶しています。数日後に、白藤元教授からImatinibを渡され「胃管から投与する工夫をしなさい」と言われ、お湯やオリーブオイルを温めて何とか投与を行いました。投与翌日に好酸球はほぼ0/ulになり肺に浸潤した好酸球は一気に無くなり真っ白だった肺はレントゲンで真っ黒になり酸素状態は劇的に改善しました。ここまで7日間の連続当直をしていましたが上級医である呼吸器の中島幹夫先生(現東松戸クリニック)に明日抜管すると伝えられやっと安心することが出来ました。その夜に久しぶりに自宅へ帰り睡眠をとったところ、起きたら11時30分でした。とんでもない遅刻をしてしまった訳ですが、病棟に着くと既に患者さんは抜管されていました。病棟のスタッフもそれまでの頑張りに優しくしてくれましたが、何より感動したのが抜管した患者さんの所に行ってすぐに握手を求められ、「ありがとう」と言われたことでした。人生で初めて嬉しくて泣くという事を経験しました。
この患者さんの事は日本で初めてFIP1L1-PDGFRAを持つ患者さんに対しImatinibを投与した例であったため田代准教授が論文化し自分の副論となりました。患者さんは20年経った現在も元気に私の外来に通院しています。このような経験をさせてもらえ、更に白藤元教授や先輩たちに憧れを持ったため、医師3年目の時に血液内科を選択させていただきました。
以降は日々の診療に全力で取り組んでいます。
Dana-Faber Cancer Institute(Boston)に留学していました。
医師10年目助手の頃に日々の診療への力の入れ方が分からなくなりました。大体の事は自分で自信を持って決定が出来るようになり、研修医時代に三寺隆之先生(現板橋区役所前クリニック)より言われた「医者は10年経てやっと一人前である。」と言う意味が分かりましたが、そこからのどのような方向性で持って行けば良いか迷いました。大学病院に残ろうと思っていたため、大学病院で医師を継続するためには研究が必須であり、白藤元教授からの「研究をしない医者は大学病院の医者では無い」と言った言葉が頭に非常に重くのしかかりました。このため私は留学をしようと考えました。(今となっては教育と両輪だと思います。)
私の場合は白藤元教授より自分の留学先は自分で見つけなさいと言われました。このため色々な論文を読み、特に専門としていた骨髄腫領域でStromal cellとのinteractionで面白い論文を出していたDana-Faber Cancer Institute(DFCI)のIrene Ghobrial labに個人applyを行いました。当初は、学会でIreneを探して直接話しかける事を計画しましたが頓挫し、Pubmedで論文についているe-mailを頼りにmailをしました。4回目で初めてメールを頂きましたが断りのメールでした。その後もしつこくメールしたところ同じDFCIのConstantine Mitsiades labを紹介されました。彼からは日本からグラントを得てくる事を条件に留学を許可すると言われました。最終的にグラントを得るまで2年がかかり、その間には帝京大学医学部の助教から無休助手という降格も経験しました。アメリカ留学を決意してから5年、2016年4月に留学しました。
留学は楽しい思い出がたくさんあり、もう一度行きたいかと言われれば条件が許せば飛びつくことと思いますが、その間には家族の不幸、お金の問題や本当に色々な問題も待ち受けています。もし、これを読む学生さんがいれば、是非行くべきだと助言は致しますが、行くには運もあり自分でcontrolできない要素が沢山待ち受けているという事も知っていただきたいです。
私の研究はここではあまり申しませんが血液がん、特に多発性骨髄腫における薬剤耐性とそれをovercomeするために必要な治療を探索する事を専門としており、American society of hematology abstract achievement awardを4年連続で受賞させていただきました。
向こうでは他に素晴らしい賞もいただき自分のキャリアにとっては非常に大きいものとなりました。
仲間、寄付を募集しています。
最終的に2021年3月にDFCIより帝京大学医学部に復帰し、日本血液学会の多発性骨髄腫のプロトコール委員に加えていただき、2022年3月からは講師となり、「名医のいる病院」の骨髄腫部門にも加えていただき、さらに今回藤井儔子賞も頂くことが出来ました。
現在、我々血液腫瘍研究室では教室主催の帝京大学の卒業生で2000年卒である田代晴子准教授の元、他科の医師、4,5年生学生さんなど色々な方が実験を学び手伝ってくれています。特に研究室は寄付金が無いと実験が出来ないため、もしお気持ちが許すようであれば寄付を募っています。
また、現在かなり天然記念物となった血液内科医を目指す学生さんを広く募集しています。
私は比較的落ちこぼれで帝京大学に在学し熱い医療を志しました。現在は臨床、教育と研究を両立させ帝京大学を盛り立てていければと思っています。
帝京同窓の方、学生の方、留学経験も含め興味がある方、質問がある方はryosuke@med.teikyo-u.ac.jpに連絡いただけますと嬉しいです。
2022年10月9日
帝京大学医学部 内科 血液腫瘍研究室 講師
Dana-Faber Cancer Institute 客員研究員
白崎 良輔
e-mail ryosuke@med.teikyo-u.ac.jp

■職 歴 :
1996年3月 暁星高校卒業
1997年4月 帝京大学医学部
2003年4月 帝京大学医学部附属病院 内科研修医
2005年3月 帝京大学医学部附属病院 内科研修医 修了
2005年4月 帝京大学大学院医学研究科第一臨床医学専攻 血液腫瘍研究室 入学
2009年3月 帝京大学大学院医学研究科第一臨床医学専攻 血液腫瘍研究室 単位取得後退学
2009年4月 帝京大学医学部 内科学講座 血液腫瘍研究室 助手
2013年5月 帝京大学大学院医学研究科第一臨床医学専攻 修了 博士(医学)取得
2013年8月 帝京大学医学部 内科学講座 血液腫瘍研究室 助教
2015年1月 帝京大学医学部 内科学講座 血液腫瘍研究室 無給助手
2016年5月 Dana-Farber Cancer Institute Visiting scientist
2017年5月 Dana-Farber Cancer Institute Research fellow
2021年4月 Dana-Farber Cancer Institute Visiting scientist 現職
2021年4月 帝京大学医学部 内科学講座 血液腫瘍研究室 助教
2022年3月 帝京大学医学部 内科学講座 血液腫瘍研究室 講師 現職
現在の研究課題
1. 多発性骨髄腫における薬剤耐性メカニズムの発見とそれを乗り越えるための併用療法の開発。
2. 血液腫瘍全体におけるCRISPR screeningを使用した遺伝子制御メカニズムの探索。
3. 多発性骨髄腫特異的治療標的の探索
4. E3 ligaseを使用したたんぱく分解誘導剤の使用可能なE3 ligaseを新規創薬するための研究(NEDOにおけるFIMECS[株]との共同研究)
5. 多発性骨髄腫における新たな治療薬IRF4を標的としたAntisense oligonucleotideの薬剤メカニズムの研究
6. 多発性骨髄腫におけるKRAS G12C inhibitor治療感受性因子の検討
7. 多発性骨髄腫の腫瘍増殖、抑制因子の探索
8. 慢性好酸球性白血病のTKI感受性因子の検討
9. 肺がんにおけるpemetrexate耐性メカニズムの検討
10. 絨毛がんの腫瘍増殖因子、腫瘍抑制因子の探索
11. 多発性骨髄腫のCD38 regulation mechnismの探索
12. リンパ腫、多発性骨髄腫、好酸球性白血病のDexamethasone感受性因子の検討
過去の学会賞、グラント
2016 三越厚生事業団 海外留学助成
2017 American society of hematology abstract achievement award
2018 American society of hematology abstract achievement award
2019 American society of hematology abstract achievement award
2019 Brian D.Novis research junior grant
2019 Lauri Strauss Leukemia foundation research grant
2020 American society of hematology abstract achievement award
2022 藤井儔子賞
特許・発明
U.S. PATENT; WO/2021/050832 - METHODS FOR TREATING CANCER USING SERIAL ADMINISTRATION OF E3 UBIQUITIN LIGASE DEGRADERS